観音橋


その青年は暇があれば、いつもこの橋にいた。

ここで何かをするわけではない。
ただ、ここで一人の女性が通りかかるのを待っているだけだ。

そして、その女性を見かけたら声をかけるというわけでもない。
ただ、川の方を眺めるフリをして、目線の端で彼女の姿を追うだけだ。

もう三か月もそうしている。
初めてその女性を橋の上で見かけてから、彼はその女性に恋をした。
青年は積極的な人間ではないので、声をかける事は出来ないし、 後をつけて家を探るようなストーカーまがいの行為をすることも彼の美意識に反した。

今はこうやって橋の上ですれ違うだけで満足だった。


「いい天気ですね。ここで何をしているんですか?」

その女性が初めて彼に話しかけた。
とりたてて美人というわけではないが、笑顔が素敵な明るい女性である。

「あ・・・そっそうですね。ぼっ僕はこの橋が好きなんです。」
青年は舞い上がった。
すれ違うだけの関係の自分に声をかけてくれた。もしや彼女も・・・そう思う気持ちで 彼の胸は高まった。

意外な事に女性はそれから毎日彼に話しかけるようになった。
話をする彼女の笑顔や声、性格は青年の期待以上で、青年は日増しに 彼女の事を好きになっていった。

彼にとって、このボロボロの橋は最も大切な場所となっていた。
ここにいれば彼女に会える。
今はここで彼女に会って話をすることが彼の唯一の楽しみであり全てだった。


「私、今度、ずっと好きだった高校の先輩と結婚するんです。」

ある夜、唐突に橋の上で彼女は青年に言った。

彼女はこの街に引っ越したばかりで、まだ友達もいなく、ただ寂しさと結婚出来る うれしさから、誰彼かまわず話しかけたかっただけだった。

青年に話しかけたのは、たいして意味はない。
意味はないが、彼女は青年を見て「優しそうな人」「ちょっとかっこいいかな?」 と思ったのは確かだ。

青年はいきなり目の前が真っ暗になった。
彼女が自分に声をかけたのは、ただ、好きだった人と結婚出来るうれしさから 浮かれていただけだった事が解ったからだ。

「おめでとう・・・幸せになってください。・・・もし・・・・
もし、縁談が駄目になったら僕はずっとここにいるんで、その彼の後釜にでもしてくださいよ。」
青年は思いっきり造り笑顔で、さわやかに言ってのけた。

女性は「またまた、本気にしますよっ!yasさん。」と笑顔を見せ、小走りに橋を渡った。

青年はその夜から、その橋に行く事をやめた。


5年たった後、青年は近寄らなかった観音橋にふらっと立ち寄った。

橋は老朽化のため閉鎖されていた。

「あの頃からぼろぼろだったものなあ・・・
あの女性は元気にやっているんだろうか・・?
とっても素敵な女性だった。かわいくて、スタイル良くて・・・僕は本当に彼女が好きだったなあ。」

青年は女性の事を今でも好きだった。
できれば、彼女にもう一度会いたい。そう思っていた。

「yasさん!yasさんでしょ!」

青年の背後から声がした。聞き覚えのある声!

まさか!

胸を躍らせ青年は慌てて後ろを振り向いた。

振り向くと、子供2人を連れたでっぷりとした女性がニコニコして立っていた。

女性は矢継ぎ早に体をユサユサ揺らしながら青年に話しかける。

「yasさん、私ね、結婚したのよね。でもね、旦那は仕事仕事で、私の相手してくれないし、 子供の面倒は全部押し付けるし、ストレスで食べ過ぎてちょっとだけ太ってしまって、 旦那にブタ!とか言われて悔しくってね。それで、別れたの。それからずっと、優しかった yasさんの事忘れられなくてね。最後に会った時、”後釜にしてください”って言ったでしょ、 それでね・・」

ここまで女性が言ったところで、青年はくるっと女性に背を向け、
「奥さん、それは人違いです。私はその人じゃありませんよ。」
とひきつった笑顔を見せ 小走りにその場を去った。

去りながら青年はつぶやく。
「ちょっとじゃねぇだろ・・・」

青年の恋は橋の閉鎖とともに幕を閉じてしまった。

観音橋

天満川に架かっている。
歩行者、2輪車専用の橋であるが見ての通りボロボロである。
地元民からは、ぼろ橋と呼ばれ親しまれた。
現在は新観音橋が隣に出来ているが、歩行者にとっては位置的に観音橋の方が 便利がいいはず。写真はクリックすると拡大します。

広島ショートストーリーへ